白河の関って
夏の高校野球選手権大会が行われ、東北勢の仙台育英が初めての優勝をしました。
そんな東北勢悲願の優勝を成し遂げた頃から
「白河の関」という言葉がテレビで伝えられていると思います。
そんな白河の関とは
現在の栃木県と福島県の県境にあり、奈良時代から平安時代に機能していた国境の関。
当時は人や物資の往来を取りしまる機能を果たしていたと考えられています。
夏・春の高校野球では、本州で白河の関から北の東北地方には、今まで100年以上、優勝旗が来たことがありませんでした。
なぜ白河の関にこだわり?
100年以上高校野球の優勝旗が、東北地方に来なかった事、何度も挑戦し続けても準優勝止まりであった事意外にも、大きな理由があります。
それは、「白河以北一山百文(しらかわいほくひとやまひゃくもん」という言葉です。
戊辰戦争で破れた仙台藩等は、明治時代に入り県の重要な役職等の仕事は、戦争に勝った他県の人が務める事になりました。
そんな中で、政府つまりは東北以外から来た人達が言っていた言葉が「白河以北一山百文」です。
この意味は、白河の関から北にある地域(東北地方)は、土地の価値が低く1つの山の値段も百文程度しかないというさげずむ趣旨。
この言葉に反抗の意味をこめ、東北地方のある新聞では、「白河以北」の「河北」を使った河北新報が1897(明治30)年に創刊され、「東北振興」と「不羈独立(ふきどくりつ。誰の援助も受けず独立の立場で言論の自由を守る)」を理念として今でも存在しています。
この、さげずまれた言葉をあえて使う程、東北地方では見返してやるといった思い、反骨心が流れて来ているのではないでしょうか。
それは、他の地域にはあまりない、自分の県が甲子園で敗れても他の東北地方を応援してしまう事に繋がっているのかもしれません。
白河神社って
福島県白河市の白河の関所跡に鎮座しています。
ここでは、1997年から毎年、高校野球で県の代表に選ばれた東北6県分に対して、「通行手形」を送ってきた様です。
この優勝祈願の「通行手形」は、仙台育英高校が新幹線で福島県に入る時に、しっかりと握りしめられていたのがカメラにも収まっていました。
現在は、優勝を祝して限定御朱印が頂けるそうです。この今年達成した100年越しの思いがある白河の関周辺は、パワースポットとして御朱印を貰いに行ってみる価値がありそうです。
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